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アートの新しい楽しみ方が見つかった?

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アートの新しい楽しみ方に開眼、とはいかなくても「これいけるかも」と思わされた企画でした。 美術にアクセス!―多感覚鑑賞のすすめ 三重県立美術館   https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/5914 ふらっと立ち寄った展覧会でしたが、新しい感覚を刺激されました。 特に面白かったのは、柳原義達の彫刻に触れるコーナーで、像が見えないままに手で触れます。触感だけに集中して撫で回していると、盛り上がった箇所に力強さを、ザラついた部分に緊張を、柔らかく膨らんだ箇所にエロティシズムを感じるなど、不思議な体験をしました。 つい「目で見たらどんな形だろう」と探りそうになりますが、それではつまらない。触れて楽しんだり感動したりする「鑑賞」があってもいい。そう感じました。 一歩進んで、視覚ではなく触覚で鑑賞するアートがあったら楽しいだろうとも思いました(多分、そういう作家もいるのだと思います。今度調べてみます。 もう一つ興味深かったのは、元永定正の絵を嗅覚や聴覚を頼りに鑑賞する部屋でした。 (写真が見当たらずこちらのブログから拝借しました。勝手にすみません https://fmmie.jp/wp/yukaNakamura/2021/06/08/ 企画展『美術にアクセス!〜多感覚鑑賞のすすめ / ) 「音を連想して鑑賞」という指示でしたが、音だけでなく匂いや触覚など、視覚以外への刺激(連想)を頼りに向かい合うと今までにない感覚が湧き上がってきました。いつもだとわたし好みの作品ではないのですが、元永さん、すっかり好きになりました。 いつも視覚や意味的連想だけで「みた」つもりのわたしには、とても良い経験でした。 企画展の前半は、障害者などがアートにアクセスするのを「助ける」という感じが強い展示でしたが、後半の二つのコーナーにはもっと大きな可能性を感じました。

緊急事態宣言は必要か、それとも有害な愚策か

東京都と沖縄県は再び緊急事態宣言下におかれる。 急事態宣言は命を救うのに正しい政策なのか、それとも職を奪うだけで無意味な愚策なのか。 真実は両者の間にあるのだろう。どのレベルの感染者数で緊急宣言を出すかは、巧みなバランスを必要とする政策決定だ。そして「適切なバランス」は、結局の所どのくらいの数の病床を用意できるかにかかっている。 現実には多くの病床を用意できるほど、「医療崩壊」を遅らせ、したがって緊急事態宣言発出も遅らせることができる。 つまり同じ数を命を救うのに、病床数が多いほど、職を失う人々の数を減らすことができる。 残念ながら、この一年間に日本は重症者用に確保された病床数を2倍に増やしただけだ。(2020年6月から2021年6月まで)。重症者が20名を越すだけで医療崩壊に近づく自治体もある。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00023.html 諸外国と比べて一桁少ない感染確認者数で緊急事態宣言を出さざるを得ないのは、病床数が少ないままだからだ。 病床を増やせない理由は色々挙げられるが、制約はどの国にもある。日本だけが「緊急事態」にもかかわらず必要に応えられない原因は明らかだ。 「政治的意志の不足」だ。緊急事態下では、「下からの積み上げ」や「関係者の調整」では必要に応えられない。規制の見直しや利害調整を越える政治決定が求められる。 緊急事態宣言は生命を救う。そして病床数を増やせば増やすほど犠牲者は減り、経済的なダメージも低下する。 トップは専門家の陰に隠れず、全責任を負って病床の飛躍的増加をはかるべきだ。