スター・ウォーズはかつて「反革命」だった
スター・ウォーズ第一作は、世界的な政治的反抗と社会文化革命の時代の終わりを告げる、いわば「反革命と反動」の宣言ともいえる映画だった。
戦前から1950年代までのアメリカ映画は、商業的成功を目的とした消費財だった。ストーリーは単純で明るく、ハッピーエンドが約束され、主役には決して弾があたらず、悪役は理由などなく悪役であり、主人公が悪役を殺害する様子が華々しく描かれた。
映画に限って言えば、こうした「ハリウッド」型の映画はまずヨーロッパの若い監督に打ち砕かれた。既成の価値観に反抗する作家性の高い映画は、1950年代からはじまり、フランスのヌーベル・バーグで頂点に達し、その影響は60年代にはアメリカにもおよび、アメリカン・ニューシネマが台頭した。
「卒業」(1967)、「イージー・ライダー」(1969)などは初期の傑作として知られている。スター・ウォーズの作者ジョージ・ルーカス自身の処女作(「THX1138」)、出世作(「アメリカン・グラフィティ」)もニュー・シネマ色の強い作品だった。
ニュー・シネマには主役を引き立てるための悪役はいない。悪役(先住民はその代表だった)を射的のように撃ち殺す場面は見られなくなった。「小さな巨人」(1970)では、主人公は先住民として生きた白人であり、白人社会の欺瞞と残虐性、偽善が暴かれた。
スター・ウォーズ登場の前年にはニュー・シネマの傑作の一つ「タクシー・ドライバー」が制作されている。この映画はベトナム帰りの海兵隊員が殺人に傾斜していくストーリーで、カンヌでパルムドールを受賞した。
映画の革命によってハリウッドは葬り去られたと思われた。
ところが1977年に公開された「スター・ウォーズ」第一作は、反革命の狼煙を上げた。作風は1950年代までのハリウッド映画を忠実に再現し、そこにジェットコースターのスピードと優れたSFXを加えたものだった。その成功は、内省的なニューシ・ネマの終わりを宣告し、内省的芸術に対する商業娯楽の勝利と復権を記すものだった。
社会的にいっても、スター・ウォーズの登場は「反革命」の匂いが濃厚だった。ニュー・シネマの背景となったのは、アフリカ系アメリカ人の権利回復を目指した公民権運動、ベトナム反戦運動の影響のもとに、既存の価値観への懐疑と反抗だった。
スター・ウォーズの主人公は、無鉄砲な若者から悪の帝国を攻撃する正義のヒーローに転身する。そこには「正義」への懐疑も個人の内省も入り込む余地はない。アイデンティティを失ったアメリカ人を、全てを忘れて古き好き時代に誘う映画だった。
反革命の先陣を切った他の作品と比べても、スター・ウォーズの徹底ぶりは群を抜いている。例えば「激突」(1972)や「ジョーズ」(1975)には不条理劇を思わせる不気味さがあり、「ロッキー」(1976)にはNニュー・シネマ的な雰囲気が残っている。
単純な世界観と楽天主義の復権は、第三作「ジェダイの帰還」(ジェダイの勝利!)が公開された1983年には頂点に達した。当時の大統領ロナルド・レーガンはソ連を「悪の帝国」と呼び、宇宙空間からソ連のミサイルを打ち落とすという「スター・ウォーズ計画」に着手すると宣言した。
映画の反革命は、新しい冷戦に勧善懲悪の衣装を提供したのだ。
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