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南アフリカはオランダ病か

高所得なのに異常に高い失業率。南ア経済の奇妙で慢性的な病気だ。 専門家はどう考えているのだろうか。 門外漢から見ると、「オランダ病では?」とまず思う。 オランダ病とは資源にお金も資本も集中して他の産業が育たないことをいうが、為替が高止まりして輸出産業や労働集約的産業がだめになってしまうこととに限定して使うことも多い。 なにしろ南アは世界でも有数の資源国だ。強い副作用が出るのは当然だ。資源が南ア通貨を本来の水準より高めに誘導しているはずで、労働集約的産業が育たず、これが高失業を招いていると見るのが自然だろう。 でもネットで検索した限りでは、南アではオランダ病は発現していないという報告が多いようだ。 例えば製造業がそこそこ発展しているからというのがその理由だ。 http://www.econrsa.org/system/files/publications/working_papers/wp281.pdf また、この報告(2012)はランドは「購買力平価で見てもまだまだ割安」と指摘している。 http://www.iima.or.jp/Docs/newsletter/2012/NLNo_09_j.pdf でも、もう一つ納得できない。製造業については、資源がない場合と比較して規模、雇用者の質と数がどうなのかが知りたいところだ。購買力平価の測定はかなり微妙だ。 アパルトヘイト体制崩壊以後の賃金の上昇を主因とみて、組織労働者(ANCの支持母体)の特権階級化を指摘する政治経済学的見方もあるようだ。多分それも一因だろうとは思う。 また南アの経済の中心はもはや資源ではなく、金融セクターで、これが新しいオランダ病を招いているという記事もあった。マネーゲームが繁栄して他の産業は滅びつつあるというわけだ。 http://mgafrica.com/article/2015-04-09-johannesburg-stock-market-sees-most-ipos-since-2008-as-stocks-rally-to-record この指摘を拡大すると、アメリカのラストベルト現象を極端にしたのが、南アの高失業というかもしれない。 いずれにしろ、南アの高失業率に重大な構造的要因があるのは間違いない。簡単に説明してくれる

「国民の半分はバカだ」という声をよく聞くが 杉本博司「ロストヒューマン」

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東京都写真美術館でした。とてもたくさんのお客さんがいてびっくりした。 構成は単純で、いろんな人の遺書が残されていて、廃墟っぽい雰囲気の陰湿な会場に、それに関連するものたちがたくさん展示されている。遺書はみな、人類が滅びるにいたった過程を簡単に書きしるし、「人類はアホだ、滅びるしかない」と締め括る内容になっている。「いろんな人」は理想主義者、政治家、ロボット工学者、WHO事務局長、養蜂家、国連事務総長と多彩で、彼らが描く滅亡のシナリオもさまざまだが、人類は救い難いというメッセージは変わらない。 途中まで面白がってみていたが、なんだか不愉快になってきた。その上から目線に嫌気がさしたためだと思う。また、展示はヤケクソな愚痴の匂いがしたからでもある。居酒屋で赤ら顔で議論する内容であり、美術館でお金を払って見るものではないと感じたのだ。 同時に少し恐ろしくなってきた。同じような口調を最近よく耳にするからだ。わたしの周りでも「日本はもうダメだ、滅びるしかない。デマゴーグは政治家を支持する日本人はバカだ」という声を聞く。同じようなことを今、トランプ嫌いのアメリカ人がテレビで語っている。極右政治家はへの支持が広がるフランスでも同様だ。 世界が気にくわない方向に舵を切り出した時、それを止められないと感じた時に起こる現象だ。 世界に問題が累積した時、システムは変化するが、良い方向に変化するか悪い方向に変化するかかは力関係にかかっている。残念ながら良い解決へのビジョンと道筋を私たちが示せないときもある。そういうとき、デマゴーグが示す悪い方向に人々が歩き出すこともある。 そんな時。私たちの取る道は二つだ。一つは逃げ出すことだが、(それはとても大事だが)まだ早そうだ。 もう一つは知恵を合わせて新しいビジョンを作り出し、道筋を見つけることだ。今はむしろその時期だとわたしは思う。 いずれにしても、苛立って他者を愚か者呼ばわりしたり、取り返しがつかないところまできたと喚き立てるのは、適当ではないと思う。 浮き足立ってはいけない。落ち着いて、よく考え、じっくり議論する、まずそこから始めよう。

トランプ勝利の意味すること

トランプ勝利。 ほぼ五分五分(どちらが勝っても誤差の範囲)と理解していたので驚きはない(「予想外」という報道はなにを根拠にしていたのか理解しにくい)。 とりあえずその意味について整理したメモ: 1  グローバリゼーションの終焉 80年代から世界に広がった経済的なグローバリゼーションはピークを過ぎ衰退を始めた 反動として自由貿易が批判され、保護主義、国益主義、新重商主義的競争を訴える声が強くなるだろう 2「普遍的価値」が世界的規範の位置を失う グローバリゼーションと連動して90年代からは「人権」「民主主義」「自由」などの「普遍的価値」が世界を支配し、逆らう国には強制された。 これからは「アジア的」や「アフリカ的」など「ナントカ固有の」民主主義が称揚され、独裁や人権侵害に対する国際的抑止は大幅に低減することになるだろう 3 多極化に対応する新しい世界秩序へ グローバリゼーションと普遍的価値を主導して来たのはアメリカだった。それはまたアメリカの国益にも合致したからだ。でもその時代は終わった。 アメリカは自国中心の世界秩序を押し付けることをやめ、多極化に対応する新しい世界秩序を認めることになるだろう。 その代わり、アメリカは世界秩序の維持コストを分担することを求め、自国の利益をあからさまに求めるようになるだろう *************** これらは私たちは高齢者にとっては、新しいことではない。戦後、1は70年代まで、2は80年代までひろく見られたことだ。 経済も政治も上昇下降を繰り返す波のようなものだ。上がったものは下がる。 でも同じところにはけっして戻らない。その違いは3、つまり覇権システムの変化が影響するからだ。 さて、自立を求めるひとびとは、グローバリゼーションと闘い、その際普遍的価値を掲げてきた。 これからも普遍的価値を求めなければならないが、他の国家の応援(国際的圧力)をあてにできなくなりそうだ(そのかわり国家間の分裂を利用できるかもしれない)。 日本では固有の問題として、反米を掲げた排外的愛国主義という、新しいそして強力な悪魔が頭をもたげてくるだろう。 さて、私たちはどちらを向いて、なにを信じて歩いていくべきなのか。多くの人たちと一緒に考えていきたい

ポケモンGOは二つの世界の衝突を呼び込んだー現実世界とバーチャル世界ー

ポケモンGOは現実空間に重なるバーチャル空間を提供し、大きな成功をおさめた。同時に二つの空間の衝突という新しい、そして将来にわたって拡大していく現象の扉を開いた。 ネットやメディアにあらわれるポケモンGOへの様々な反応ー個人的嫌悪から国家による禁止までーはそうした衝突の最初の兆しに過ぎない。そしてその中で最初に争いの場となるのは、おそらく法的な権利関係だろう。 
 ポケモンが学校に現れると、校長先生が削除を求める。これをわたしたちが当然とみなすのは、校長が学校という現実の空間の管理権を持っているからだ。うちの庭からポケモンを削除するよう求めるなら、それは所有権に基づく要求になるだろう。 地球上の空間は、公海と極地の一部を除けば、全て所有権ないしは管理権が設定されている。バーチャル空間との競合は早晩避けられない。そしてそれは常に現実世界の勝利に終わるのだろうか? ポケモンGOについては、すでに現実空間の権利者からのクレームがあちこちで起きているが、今の所クレームがあればポケモンを削除するという対応がとられている。そして権利者の多くもそれで納得しているようだ。 とはいえゲーム側は事前に現実空間の権利者全員から許可を得ているわけではない。つまり権利を認めたわけではないが「配慮」しているというのが実態だろう。他方で金を払えばポケモンを配置する、つまりバーチャル空間の利用料をとるビジネスはもう始まっているらしい。そして空間の利用権はゲーム側に100%属していると見られているようだ。 しかしバーチャル空間側に都合のよい、またそのイニシアティブに任せた、このような曖昧なあり方は長くは続かないだろう。 バーチャル空間の使い方は急速に多様化し発展していくだろう。近い将来都市の中心部には幾重にもバーチャル空間が重なり、さまざまな方法で利用されるようになるだろう。それに伴って予知できない衝突が起こるのは避けられないだろう。 わたしの貧しい想像力で、起こりうる衝突例を考えてみよう。 自宅の庭がヘイトスピーチの宣伝ポイントにされたら、ゾンビとの殺し合いの場に設定されたら、どうだろうか。あるいはホログラムのヨーダがマックののぼりを持って立っていたらどうだろうか。家の塀が、通行人向けの個人用広告の掲示パネルになっているかもしれない。 事前に通知があれば削除