「ゴジラ」(2014)は「ゴジラ」(1954)のリメークではない

これは「ゴジラ」(第一作、1954)ではなく二作目の「ゴジラの逆襲」(1955)のリメークと見るべきだろう。

ひょんなことからロードショウー中の「ゴジラ」を見てきた。ゴジラ第一作のみがホントのゴジラと信じる私にとっては、これは第一作のカバーとはいえない。

第一作の観客は、広島・長崎、そして大空襲の記憶がなまなましい人々であり、核実験の死の灰に脅かされ、なにより米ソ冷戦の緊張、起こりうる核戦争の恐怖を感じている日本人だった。

そこに現れたゴジラは、こうしたトラウマと不安を体現した怪物であり、わたしたちの力ではどうすることもできない巨大で不条理な力だった。ゴジラは何の感情も意図もなくひたすら破壊を続け、映画は戸惑い逃げ惑う人々の視点で撮られていた。

9歳のわたしには、ひたすら恐ろしい映画だった。

高度成長の60年代に入ると、ゴジラは子供向きの怪獣ショーに変質していく。生意気ざかりの少年、やがてひねくれた青年となるわたしには、馬鹿らしいだけで見る気もしないシリーズが延々と続くことになる。

第二作は恐怖の王が道化へと転換するはじめの一歩だった。第一作の恐ろしげな作りは維持されたものの、第一作を覆っていた恐怖と無力感は消え失せて、単に恐ろしさを煽るだけの映画となっていた。それは映画の作り手よりも、観客の変質に寄るものだったのだろう。

そして同時にゴジラがアンギラスと闘うことによって、怪獣プロレスショーへの道を開いた作品でもあった。

ハリウッド第二作目の「ゴジラ」予告編は、第一作を意識した終末の恐怖を感じさせるものだった。しかし私が本編に観たのは、むしろ「ゴジラの逆襲」と多くの共通点が見られる映画だった。

監督ギャレス・エドワーズの出世作「モンスターズ」は、9・11以降の暗い絶望感を色濃く反映した秀作だったが、「ゴジラ」にはそうした雰囲気は見当たらない。そしてゴジラはアメリカを救い、最後は救世主として拍手で送られる。

アンギラスを殺してもなお、日本を破壊し続ける第二作のゴジラよりもさらに「怖くない」のだ。

すでに他の怪獣からゴジラが地球を守る続編が構想されているという。ハリウッド製ゴジラは恐怖と破壊の王ではなく、トランスフォーマーやパシフィック・リムの系統をひく、そして日本製ゴジラの末路を繰り返すシリーズになりそうだ。

なお、この映画、3.11のトラウマが残る人にはおすすめできない。津波、原発事故の場面がある。また核爆発の描写は被爆国の人間には理解できないような無神経なものだ。



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