被災者支援には民の力を解放しなければ

先日被災者支援に関するシンポを聴いた。

パネルは地震学者、行政サイドのコーディネータ、支援に参加した国際NGOなど。話は支援のコーディネーションのための仕組みと努力にほとんど終始した。対照的に、被災者の状況分析や支援の動向についての話はほぼゼロ。

もちろん、現場が被災者を広くカバーしていればいいのだが、実際には避難所にいる人だけが対象のようだ。

現場を訪問した人からは、かなり早い時期から大半の被災者が避難所からでて、自力で生活再建を試みている。残っている人は、残らざるを得ない(高齢だったり病いを抱えていたり等)場合が多いという。

また原発被災者は行政が決めた避難地域などにいるとは限らず、これも自力で避難しているおかあさんなどは広範囲にわたっている。

被災者の多くは、被災した瞬間から生きるため、暮らしを立て直すために知恵を絞り、行動している。当然だ。わたしが被災してもそうだろう。他人任せでなんとかなるなどとは考えない。

そして、そういう人たちへの行政の直接支援はない。NGOもボランティアも、行政の支配下にある場合は、同じだ。

一人ひとりの暮らしの再建は多様だ。ひとつのメニューなどない。役所に対応を期待するのは無理だ。役所とはそういう事が出来る組織ではない。

そこにこそ、NGO,NPO,ボランティア、民間企業の創造性、機動力が活かされねばならない。民間の力が役所のとりこになっては困る。

考えて見れば、開発の世界はまさに同じ落とし穴に入っている。援助協調(ドナーと政府のコーディネーション)に多大な時間を使い、NGOも政府のコーディネーションに従うべきだとの議論がまかり通る。「中央の調整がうまく行けば、現場もうまくいくだろう」との思い込みから、貧困脱出のための諸個人の多様な苦闘を理解することは、政府やドナーの仕事ではないと思われている。

恐るべきは官僚主義だ。公的機関が触れたものは、生きたまま化石となってしまう、NGOも研究者も。民間の成果以外の基準に惑わされない信念、創意工夫、失敗を恐れない大胆さを解放することが、被災者支援でも援助でも、もっとも重要だ。

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