地震について2 逃げることへの社会的圧力

前の投稿から続く

ところで、こうした情報分析の偏りに比べると、意思決定の偏りはとても小さいように見える。つまり「逃げる」派は圧倒的に少なく、大半の人は「逃げない派」だ。なぜだろうか。

一般的には、逃げるコストが高いこと(職を失う、他に拠点がないので滞在費が高い、外国では暮らせない、後ろめたいなどの心理的不安、逃げると白い目で見られるなどの社会的制裁、不安を煽ったと批判される等)が最大の原因と考えられる。

一般に受け入れられている言説「最善の被災者支援は、節電、しっかり働く、無駄遣いしない」(そもそもそれらに客観的根拠はあるのか?)や、「なくみんなで耐える」のが日本人の美徳だという説なども社会的圧力の一つであり、逃亡の心理的コスト(あるいは社会的制裁を受けるというコスト)を高めている。

災害のため、ACの道徳CMが増えていることもこうした圧力をより高めているようだ。

しかし、上記のコストの多くは文化的要因に左右される。外資系であれば逃げたという理由で解雇しないだろう(おそらく日本で解雇されても危険が大きければ裁判で勝てるだろう)、子供の発がんリスクと社会的迫害や外国の暮らしへの挑戦コストをどうバランスするかは、明らかに文化的な問題だ。アメリカ映画なら、自分の家族のためにどこまでも逃げていくだろう。

逃げいない多数派は、ではリスクをどう見積もっているのだろうか?これについては私にはよくわからない。推測するに、「みんなと同じ行動をとればリスクは低い」という想定に立っているのではないだろうか。

これは十分な情報が得られないときに、しばしば見られる行動で、それなりの合理性がある。みんながこの行動をとっているのだから、正当な理由があるだろう、またなにかあったら大多数の人々の利益は政府あるいは国際社会が守ってくれるだろうという想定だろう。歴史的には、これは正しい場合もあり、正しくない場合もある。

わたしは、自分と家族の安全を最優先に意思決定すべきだと思う。そのため社会的圧力を感じるし、それは、なんと自分の中にもある。だから余計怖いし、理不尽だと思う。でもそう考えること自体が、とても少数派なのだろうとも思う。


こんなことを書いているうちに、放射性物質の浮遊、飲料水の汚染のため、地域によっては逃げる必要性が高まってきた。「逃げる」コストを引き下げることが、わたしのような少数派ではなく、多くの人にとって重要になりつつある。それには文化的な努力が必要となるだろう。

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