地震について、情報の読み方の歪み

アフリカで地震のニュースに接してから2週間、帰国してから1週間が経過した。内外の情報を見ながら、情報をどう読むか、分析をもとにどう意思決定するか、難しさを痛感している。

情報を読む際も、意思決定の際も、自分の特性(性格、世界観、職歴、年齢)などが強い影響を与えるのを感じる。わたしはもともと原発に反対であった。とても臆病だ。へそ曲がりでみなと同じ行動するのを嫌う。多くの国、組織を転々としてきたし、内外に拠点が複数あるので移動性が高い。

この結果、情報分析については、原発についての政府発表に懐疑的で、より深刻に考える傾向がある。意思決定に際しては、リスクが少しでも高まると、原発から遠くに逃げることを選ぶ。みなと一緒に行動する義務感も、それによる安心感も、あまりない。

わたしとは違うが(多くの場合正反対)、やはり強いバイアスを、メディアやネットの書き込み、一般の人の行動などをみていて、感じる。

まず、情報分析に際しては、一方に、「大丈夫」派=原発リスクを低くみる偏りがある人びとがおり、他方に「不安派」=原発リスクを高めに見積もる傾向があるひとたちがいる。ともに各種情報を系統的に歪めて解釈している。

えられる情報の曖昧さも、恣意的な情報分析を助長している。曖昧さの理由は、政府や東電もわからない(原子炉格納容器の中はどうなっているかなど)ことがおおいことと、故意に曖昧にしているのではないかと疑われること(被爆量がどの程度になったら逃げるべきかなど)の両方があるようだ。

情報分析の偏りは、それ自体害があるわけではなく、ある意味当然のことだ。通常は分析の偏りも正規分布を描くはずだ。両端が少なく、中間が厚い、いわば良識が多数派を形成することとなり、安定的な世論が作られる。


ところが、現実のリスク評価は、両極に分裂するM型、対立型になっているように見える。

原因を考えてみると、ひとつは、情報とりわけリスク情報が不十分で、しかも信頼にかけるため、自己防衛に関心が高い人(あるいはハイリスク地域に住む人)にとっては、リスクをやや多めに見積もるのが合理的行動となる。他方社会秩序維持により関心が高い人(あるいはローリスク地域に住む人)には、リスクを低めに評価する動機が強まる。

さらに、リスク評価が対立型であるだけでなく、双方の双方の極端派が、、他派を攻撃する傾向がみられる。ネット上の書き込みには、他派の人々への侮蔑、愚弄、攻撃が多く見られる。パニックを起こす愚か者、さっさと逃げ出す卑怯者、政府の宣伝を鵜呑みにする馬鹿者、個人に犠牲を強いる全体主義者等、はっきり攻撃するものから、遠まわしに揶揄するものまで、こうした症状が広がっている。

ついでながら、「危機の際は人の本質が現れる」というセリフには気をつけるべきだ。しばしば自分と違う傾向の人たちを、根拠なく非難する「決め台詞」に使われているからだ。

現状は安定した世論とは程遠く、「国論の分裂」というべきだろう。ただし、政治対立と違い、特定の政党もイデオローグもなしに、みなが無意識に分裂しているところが興味深い。

ところで、なぜ他派を攻撃するのだろうか?他派への攻撃は、自分と同じ行動をみんなに取らせようとする圧力手段と考えると分かりやすい。攻撃的な言辞により、他派から浮動層を奪い、自分と同じ行動を取る人を増やすことが期待できる。多数派であることは、それだけで安心を醸成し、行動するときは、他の人とより有利に行動できる。仮に破滅するにしても、みんなと一緒のほうが不安が少ない。

危機的状況では、こうした多数派形成心理が働くのかもしれない。(これはひとつの思いつきに過ぎないが。)

続く

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