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田中優氏の原発をなくすための提言

長年反原発運動に関わってきた田中優氏の雑誌「世界」掲載記事がご本人によって某MLに投稿されました。とてもコンパクトで説得力があるので、多くの人に読んで欲しい、またMLに投稿されているので広く紹介してもいいはずだと考え、ここに転載します。 「脱原発/脱CO2のエネルギー政策を」『世界』11月号掲載 25年の反省 私が原発運動に関わってから25年経つ。つまり25年前のチェルノブイリ原発事故が、 私の原発に反対する運動のきっかけになっている。私自身にあまり変わりはないが、周囲の扱いは大きく変わった。 福島第一原発の事故が起これば「 それ以前から一貫して反対していた」持ち上げられ、そして今また「偏った意見を持つ人」の扱いに戻りつつある。 そんな評価とは別に、自分で考える評価もある。この25年間反対してきたものの、現に原発事故は起こり、 現に今なお「たいして心配はない」などと伝えられるまま、多くの人たちが被曝を強いられている。端的に言ってしまえば、私たちの運動が成功していたなら原発はすでに止まっていて、事故は起きていなかったはずだ。もちろん自分を含めて小さな市民の脱原発運動を、 過大評価するつもりはない。しかし、 私たちの運動が成功していないことを素直に反省してみたい。 私が自ら反省すべきだと思う点は3つある。 1つ目は「危機感に頼り過ぎた」ことだ。25年前、チェルノブイリ原発事故の際に私たちは、「今度はこの原発が危ない、今日か明日か」 というような運動をしていた。確かに危機感はきっかけとしては大切だが、持続しない長く続かない以上、 持続できる運動に移行しなければいけなかった。しかし当時の運動は、危機感で人々を引っ張るばかりで、 持続できる運動にはなっていなかった。 2つ目は「身近な問題につなげられなかった」ことだ。ゴミ問題でいえば、「毎日出るゴミ」を手にするたび、 考えることになる。ゴミ問題は日常生活に身近だから、と思うかもしれない。しかし、電気だって「毎日スイッチを入れるたび、 考えることになる」はずだ。それはいかにリアリティーを持たせるかの問題だ。空中戦のような専門的な論議にせず、 今起きていることと密接に関係する現実からの提起こそが必要なのだと思う。 3つ目は「仕組みの問題につなげられなかった」ことだ。実は原発には、それを推進

タンザニアスタディツアー最終募集

タンザニアへのスタティツアー参加者を公募します。 15日間 224,000円から 2011 年8 月24 日(水)関西発 15 日間(9/7 帰着) 参加条件は特にありません 申し込み締切 2011年8月8日  マイチケット企画旅行 プロデュース・同伴 龍谷大学経済学部教授 大林 稔 アフリカはここ数年高い経済成長を記録、豊かな人々が増えています。他方で貧困な人々の生活しは楽になりません。伝統的な連帯が弱まっているため、弱い立場の人達の暮らしは危機にさらされています。 このツアーでは、社会的に不利な立場に置かれた人たちの自立のための努力を探るため、障がい者団体、低所得者への現金支援、HIV/エイズ患者支援組織、マイクロファイナンスなどを視察します。また龍谷大学の学生が企画するストリートチルドレンのための奨学金について現地のNGOや元ストリートチルドレンと話し合います(予定は変更になることがあります)。 また、タンザニアの暮らしを知るために農村滞在、文化イベントの経験なども企画しました。自然公園でのサファリも楽しみます。 費用 学生と同宿 ドミトリー 二人1室 224,000円 教員と同宿 ホテル  一人一室  265,000円 ※上記費用に含まれるもの ・航空券代金・宿泊費用・朝食12 回・昼食2 回・夕食2 回 ・日程表に記載された現地での活動に必要な移動費用/ミニバス (但し8 月28 日・31 日は手配無しです。) ・ゲームドライブ費用・ミクミ入園料 ・現地でのインターン費用(但し8 月28 日・31 日は手配無し) ・受注型企画旅行手配料 ※上記費用に含まれないもの ・燃油特別付加運賃:35,001 円 ・空港税(関西:2,650 円 タンザニア:3,100 円) ・タンザニア査証申請費用(11,000 円/実費6,000 円 手数料5,000 円) ・任意加入の海外旅行保険保険料 申し込みはまず大林まで obayashi@econ.ryukoku.ac.jp 090 2535 4767 具体的な手続きはマイチケットに連絡していただくことになります。 株式会社マイチケット 担当:藤原久美香 <兵庫県知事登録旅行代理店142 号 エアーワールド(株)代理店> 〒6

震災後に結婚ブームがおこるわけ

震災後に婚活業界やウエディング業界が繁盛しているという。あわてて婚活を始めた、付き合っていた人と結婚を決めたな人たちが急増しているとの報道がたくさんある。事実であればとても興味ふかい。 さまざまな解釈が付け加えられている。 すごく大雑把に言って、生命にかかわる本能が働いているという解釈もありうる。戦争でも大停電でも、非常時のあとは妊娠が高まるのが普通だ。生命の危機を感じると、DNAを残すことの重要性、それも「今すぐに」残さねばという本能が人々を突き動かすと解釈することができる。 もしそうなら、すでに結婚済みのカップルも加わって、予想を上回る(つまり結婚数以上の)ベビーブームが起こるはずだ。あと1-2年の出産動向に注目したい。

原発被災者も含めて、暮らしを立て直す一番の支援は

たったひとつのケースだが、考えさせられる。 何十万のケースがあ るはずで、それはみんな違うだろう。どうしたらみんなを応援でき るのだろうか。 http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fnews.ameba.jp%2F20110619-127%2F&h=e6f44 このケースを考えると、不確実性、所得の減少、投資資金不足、資産価値の減少(ローンもこれにあたる)が問題となる。それぞれに対策を考えてみた。 1.所得:5年程度のベーシックインカム(個人別) 2.不確実性:生活再建保険の提供 3.投資資金不足:ODAなみのソフトローン、特に返済猶予期間を10年とする 4.資産:被災による資産の減少は、資産ゼロまで保証(つまり債務帳消し) 2.3.は民間金融メカニズムを活用し、公的資金で割安なものにする。4.は金融機関にも少し泣いてもらう。 1. は全額公的資金から支払う。田中康夫氏は月額10万円を要求している。わたしは15万円とし、かわりに他の公的扶助(生活保護等)を廃止するのが良いと思う。 ただしこれは労働能力のある人であり、例えば多くの高齢者には意味がない。プレミアムつき生活保護と選択できるようにするのが良いと思う。 問題は財源だ。

福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト コーディネイター募集

============================== ==== 福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト コーディネイター募集 (パートタイム・在宅勤務可能) ============================== ===== 当プロジェクトは、福島からの避難を希望する、 あるいは避難中の乳幼児・ 妊産婦家庭の特にお母さんとお子さんのニーズに対応するために結 成されま した。 これまでボランティアの力で運営してきましたが、 福島原発事故の収束に時間がかかること、 プロジェクトの地理的広がり、お母さんやお子さんたちの ニーズ対応の迅速化の必要性から、 コーディネイターを一名パートタイムで雇用することになりました 。 1.条件は次のようなものです。 (1)週25時間(時給1000円、税別)(時間数・曜日・ 時間帯については応相談) (2)在宅勤務(週1回程度事務局<東京外国語大学府中市> 勤務、ただし応相談) (3)契約期間:2011年7月1日~2012年7月1日( 開始・終了時期は応相談)   *ただし2011年度いっぱい(2012年3月末まで) 勤務可能な人を優先   *2012年7月1日以降継続可能性あり (4)事務局勤務の際の交通費は支給 (5)出張あり(応相談) (6)団体から携帯電話を貸与の予定 2.業務内容は、次のようなものです。 (1)事務局運営   (各担当チームや担当者、対外関係者との連絡調整、会計・ 広報補助など) (2)当プロジェクトへの問合せへの対応   (しかるべき担当チームや担当者への繋ぎ) (3)内外の関係各機関との調整 (4)避難中(希望)のお母さんたちのやり取り   (それぞれの拠点で対応できない場合) (5)報告書の取りまとめ 3.必要要件 (1)これらの対象世帯や当プロジェクトの活動への共感 (2)社会問題への関心、人と一緒に働くことが好きな人 (3)大学以上の学位 (4)ボランティア活動・NGO/NPO活動での経験 (5)組織内での仕事の経験 (6)事務作業(エクセル、ワード、パワーポイント、ブログ、 メール等)を得意と   すること

被災者支援には民の力を解放しなければ

先日被災者支援に関するシンポを聴いた。 パネルは地震学者、行政サイドのコーディネータ、支援に参加した国際NGOなど。話は支援のコーディネーションのための仕組みと努力にほとんど終始した。対照的に、被災者の状況分析や支援の動向についての話はほぼゼロ。 もちろん、現場が被災者を広くカバーしていればいいのだが、実際には避難所にいる人だけが対象のようだ。 現場を訪問した人からは、かなり早い時期から大半の被災者が避難所からでて、自力で生活再建を試みている。残っている人は、残らざるを得ない(高齢だったり病いを抱えていたり等)場合が多いという。 また原発被災者は行政が決めた避難地域などにいるとは限らず、これも自力で避難しているおかあさんなどは広範囲にわたっている。 被災者の多くは、被災した瞬間から生きるため、暮らしを立て直すために知恵を絞り、行動している。当然だ。わたしが被災してもそうだろう。他人任せでなんとかなるなどとは考えない。 そして、そういう人たちへの行政の直接支援はない。NGOもボランティアも、行政の支配下にある場合は、同じだ。 一人ひとりの暮らしの再建は多様だ。ひとつのメニューなどない。役所に対応を期待するのは無理だ。役所とはそういう事が出来る組織ではない。 そこにこそ、NGO,NPO,ボランティア、民間企業の創造性、機動力が活かされねばならない。民間の力が役所のとりこになっては困る。 考えて見れば、開発の世界はまさに同じ落とし穴に入っている。援助協調(ドナーと政府のコーディネーション)に多大な時間を使い、NGOも政府のコーディネーションに従うべきだとの議論がまかり通る。「中央の調整がうまく行けば、現場もうまくいくだろう」との思い込みから、貧困脱出のための諸個人の多様な苦闘を理解することは、政府やドナーの仕事ではないと思われている。 恐るべきは官僚主義だ。公的機関が触れたものは、生きたまま化石となってしまう、NGOも研究者も。民間の成果以外の基準に惑わされない信念、創意工夫、失敗を恐れない大胆さを解放することが、被災者支援でも援助でも、もっとも重要だ。

ほんとうの復興とは

外国のメディアには「驚くべき速さで復興」という記事がある。 http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fwww.dailymail.co.uk%2F&h=b4784 この記事には被災直後と現状を比較する写真がいくつか載っている。これらをみるとたしかに「すごいなー」と思う。 しかし、なにかが違うと感じる。報道で暮らしの再建のめどが立たない、先の見えない苦労に直面する被災者像を見ているからだ。むしろ遅い復興へのいらだちは、私だけでなく国民全体の感情ではないだろうか。 一体どちらが本当なのだろうか。復興は早いのか、遅いのか。 実はこの問は、「復興とはなにか」というもっと大きな問に繋がっている。この大きな問に答えるには、私たちの中に二つの復興観が混在していることに注意しなければならない。被災者の暮らしと、物理的な「街の再興」という二つの復興観だ。復興が早いとみるか遅いとみるかは、実はどちらの復興観に立っているかで大きく変わる。 私が被災したと考えてみよう。ここで「被災」というのは広い意味だ。つまり行政に被災者として認定されているかどうかには関わりなく、何らかの震災から被害を受けていれば、ということだ。その場合私にとっての復興とはなんだろうか。安心して、未来のある暮らし(わたしは高齢なので、まごの未来を思っての「未来」であろう)が出来る時だと、私は思う。 復興というと「震災以前に戻る」ということと捉えがちだ。 しかしそうだろうか。「被災した私」にとって、いろんなことがもとに戻るのは、たしかに居心地がいい。しかし、100%元に戻ることはそもそも不可能だ。なくなった家族は戻らない。では、せめて70%、80%へと努力することがマストなのだろうか。 私だったら、職は変わっても収入が高くなって ればそれでいい。家は建て替わり、住所が変わっても、より便利で快適なら文句はない。心の傷は癒せなくても、働きがいと安定した収入をえる道があり、語り合える友がいて、よりよい明日を夢見られる ならば、そして 「あの時は挫けそうだったが、よくここまで来たなあ 」と震災直後を振り返れるならば、それがわたしにとっての「復興」だと思う。 瓦礫が撤去され、ライフラインが復旧することは大切だ。ただそれが自己目的化しては困る。さらには復興が、

公開シンポ 「原発問題と共生経営ー原発は人・地域・社会と共生できるかー

面白そうなシンポだ。どんな話か不明だが、ちょっと変わった切り口からの話であり、スピーカーも面白そう。行ってみたい。 龍谷大学社会科学研究所 2011 年度第 2 回月例研究会 労働統合・共生経営研究センター(社研共同研究・重本P) 公開シンポジウム <テーマ> 原発問題と共生経営 ―原発は人・地域・社会と共生できるか― 社研共同研究・重本P主催、本年度第2回の共同研究会を下記の内容で開催いたします。ご参加下さい。 記 日時; 2011 年 6 月 19 日(日) 13 : 30 から 17 : 30 まで 場所;龍谷大学深草学舎・ 21 号館 602 教室 共催:市民科学研究所 プログラム; 1)「原発問題と地域社会」(仮題)       山本雅彦氏(原発問題住民運動全国連絡センター代表委員) 2)「地震・津波・原発事故と地域経済―いわきでの実体験から―」 杉村樹可氏(日本政策金融公庫・前いわき支店長) 3)「東京電力という会社」(仮題) 中村共一氏(市民科学研究所代表・岐阜経済大学教授) コーディネーター 重本直利(龍谷大学経営学部)   <問い合わせ先> 612-8577        京都市伏見区深草塚本町 67  龍谷大学 社会科学研究所 TEL;075-645-7875 FAX;075-643-8510 重本研究室( e メール); sigemoto@biz.ryukoku.ac.jp

話しあって全部再起動

国会の仕事は政権を批判することではない、法律を作って政府に執行させることだ。立法の遅れについて政府を責める暇があったら、立法しろと田村理さんが言ってる(6月1日朝日新聞)。たしかに立法がほとんど政府主導で行われている事態はおかしい。 同じようなことは私たちにも言える。政府に従うにしろ批判するにしろ、政府任せという点では同じだ。 逃げるか逃げないか自分のことは自分で(あるいは自分たちで)決める、公共のこともできるだけ自分で(あるいは自分たちで)やる、政府からも自分で(あるいは自分たちで)身を守る。 政治に愚痴は言わない、政治家や官僚は自分で(あるいは自分たちで)コントロールするもとみなす。 そのためにある程度の時間と手間とカネを公的なことにさく、信頼できるNGOやシンクタンクにお金を送る。 もちろんこれは私の意見。 でもいろんな常識を全部見直して、みんなでじっくり話し合い、全部再起動する時期だと思う。とりあえず家庭で、居酒屋で、cafeで、ネットで、いろんなひとと、たくさんのひとと意見を言い合い、聞き合ってみたい。みんながそうすれば再起動できるわけではないが、それがなければ、どんな再起動も意味がない。

「中国の対外援助白書」概説

中国がはじめて援助白書を発表しました。 その内容を日本語でまとめたペーパーをアップします。 筆者は 倪志敏さん、龍谷大学で博士号を取得しており、日中関係の専門家です。大平正芳の日中関係における役割を研究されていますが、最近中国の大概援助についても研究を広げています。 参考にしてください。コメントもよろしく。 http://cid-85622991b8cc1144.office.live.com/view.aspx/%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88%e5%85%ac%e9%96%8b%e7%94%a8%e8%b3%87%e6%96%99/%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%ae%e5%af%be%e5%a4%96%e6%8f%b4%e5%8a%a9%e7%99%bd%e6%9b%b8%e6%a6%82%e8%aa%ac%e3%80%802011%e5%b9%b45%e6%9c%8819%e6%97%a5.docx

まず生き残れ。儲けるのはそれからだ(ジョージ・ソロス)

いろんな災害予測情報が実はネット上にあります。 どこに住むか、どこで働くか、リスクを考えて選ぶ人が増えるでしょうが、知人がその際に参考になりそうなサイトを送ってくれました。 液状化予想 http://doboku.metro.tokyo.jp/start/03-jyouhou/ekijyouka/index.htm 地震予想と断層 http://www.j-shis.bosai.go.jp/ 東海・南海地震の確率の高さはすごいです(たしか「東海地震」 「東南海地震」 「南海地震」が発生する確率はそれぞれ87%、60%、50%)。これは今後の人生計画に織り込まないと、「ついてなかった」は言い訳になりませんね。 地震のゆれやすさ http://www.bousai.go.jp/oshirase/h17/yureyasusa/index.html 津波被害 http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/taisaku_tsunami/1/2.pdf 関心ある方はこの人のサイトを御覧ください。タイトルもこのブログから借用したものです。 http://ramblelazy.com/archives/1839400.html

原発事故の社会経済的原因とその解決に向けて

事故発生から 3 週間、原発は未だに危機から脱することができず、収拾のめどもたたない。その解決には、今の陣容でなんとかやり抜いてもらうしかない。 しかし並行して、なぜこうした事態を招いたのか、同じことを繰り返さないためにどうするかは考え始めなければならないと思う。 悪役を探すのは好きではない。自分を免責して居酒屋で溜飲を下げるのにはいいだろうが、生産的な話にならない。 代わりのアプローチとして、みながこれまでの行動をとったのは、どのような制約のもとにいたためなのかを考えてみたい。みんなそれぞれに合理的行動をとったが、枠組みが間違っていたために、結果として大きな誤りをおかしたと考えてみたい。 そしてそのような枠組みはなんだったのかがわかれば、みなが望ましい行動をとるような枠組みに改革することが良いということになるだろう。    とりあえずいくつか論点を挙げてみた。問題設定についての問題、他の論点、論点の間違いなどがあったら指摘してほしい。また今後これらについて考えるときに、必要な情報を書きこんでほしい。ただし「これを読め」というのはやめてほしい。むしろ「それを読んだ」上で「こう考えるべきだ」という書き込みを期待したい。 本来はウィキペディア形式が向いているのだろうが、面倒なのでブログにアップした。書きこんでくれれば、速やかに内容に修正・加筆として取り入れるので、どうかよろしく。 -背景- 政府は原発を日本のエネルギー政策の柱としてきた。電力会社は、原発を代替のきかない電力源として推進してきた。そのため原発は安全の神話が作られ、情報は開示されず、批判派は抑圧されている、 メディアや研究者が東電の広報部装置と化して、しかも一般の人が活用できるような代替的な独立の情報源は育っていない。政府ですら東電に情報を依存している。一般市民の多数派は、事故以前は電力会社の主張を受け入れてきた。 この結果、原発が故障することは想定外とされ、実際に福島原発が津波に襲われた時、なんの準備もなく、以後の事態にどう対処すべきか、政府も電力会社も、専門家も、そして市民も誰も知らなかった。 -アプローチ- こうした事態を招いたのは、各アクターが、どのようなインセンティブ環境の下に置かれていたためだろうか。そして国家と社会が、代替エネルギーを志向する、すくなくとも原発中立的な姿勢に転

被災者のエンパワーメント2

被災者支援のあり方を少し考えてみた。 ポイントは、被災者を救援、復興の主役とすること、被災者に現金を渡すことの二つだ。 1. 被災者を救援プログラムのリーダーとすること。被災計画立案、実施、モニターの各段階を被災者が中心的に担う 2. 被災者の自己決定を拡大する。物資調達も被災者が品目をきめ、定時のバスで買出しにいくなどがよい。陸前高田でも9キロ近くまではインフラ復活、店も開いているそうだ。 3. 被災者の参加を仕事とみなし、手当を支払う。被災企業が事業として行い、被災者に給与を支払う事も考えられる。財源はある。復興事業で莫大な資金が投入されるはずだし、現在の救援、町の片付け作業にも巨費が投じられているのだから。 4月1日の投稿「エンパワーメント1」では、寄付金の直接配分の必要を述べたが、仕事で収入をえることはそれ以上に大事だ。暮らしていく上での不安を減らすだけでなく、労働を忘れないこと、自己の尊厳維持に重要だから。 被災者は心理的・身体的・社会経済的なハンディがあり、働くことへの敷居が高い。それを埋めるのがボランティアの仕事であってほしい。 上から目線で「無力な被災者を助ける」のはよくない。かれらは被災前まで立派に暮らしてきた人々であることを忘れてはいけない。

自由をとりもどせ!戦時統制反対!

日本はすでに準戦時体制にある。被災地では配給制度が支配、東電は計画停電(これも配給制)、戦時(震災)国債か戦争(災害)増税が近づき、政治は大連立(大政翼賛会)へ、メディアは「分かち合い耐える」CMでうまり、自主統制に従わないものにはバッシングが広がっている。 政治・経済・社会的自由は危機にある。 一刻も早くここから脱しないと、自由は奪われ、経済は1945年まで後退する。 自由や創造性を奪われた人々が、「新しい日本」を作れるわけがない。 自由を取り戻せ! 耐えずに逃げよう! 自由な経済活動や移動へのバッシングをゆるすな! 計画停電を料金による需要調整へ! 説教広告全廃!

被災者のエンパワーメントを

供給が硬直的で流通が破壊されると、市場と価格に、配給と行列が取って代わる。部分的社会主義だ。 こうした状況下では、ミスマッチ以上に、人々がアクティブな生産者・消費者から、受身の受給者になることだが問題だ。食料も、避難場所も、行政が配給し、決定するのを待つ存在になってしまう。自分の運命を他人に握られ、自己決定権を奪われる。 行政からも、ボランティアからも人々は受身の、行列する人々とみなされている。 インタビューを見ると、人々はこうした状況に苛立っている。人々は一刻も早く主体性を復活し、自分で情報を分析し、リスクを取り、行動を決定することを望んでいる。かつてのように、一人前の大人として。 市場が復活することが生活再建の第一歩だ。しかし、それ以外にも必要なことがある。第一に情報をふんだんに得ること、第二に、人々が自己組織し、自分たちで決定し、外部とつながり、自分たちの「管理」を行政の手から取り戻すことだ。 そして、この二つを支援できるとすれば、それはボランディアではないか?

原発事故に「専門家」ありは研究者の役割を考える

原発事故以降。専門家、研究者、学者、呼び名はなんであれ、ある分野でこの社会で最も深い知識を持つ人々の役割について考えてしまう。わたしも研究者の端くれであるからなおさらだ。 TVで話す研究者はいかにも「御用学者」だ。政府の政策づくりを手伝うのはよいが、それにまみれ、東電のスポークスマンとなり、事実よりも政治的配慮(無用のパニックを防ぐ)のとりことなり、結果としてごまかしに権威付けを行っている。 他王、反原発派の人々は、政府と御用学者の嘘を暴くという役割から、未だに抜け出せない。 全国民が原発のあらゆる側面の専門家になることは不可能だ。専門家とは、そうした社会的必要が生んだ分業の一員だ。特定の分野での社会の脳となり、社会の一人ひとりが判断をくだすため、情報を提供する義務がある。一見非生産的な仕事から所得を得ることができるのは、そのためだ。 今求められているのは、自分の能力を振り絞って、人々に有用と思える情報を発信し続けることだ。インターネットはそれを可能にしている(おそらく、かれらにネット上のフォーラムを提供すべきだし、それを用意するのは、彼らでなくてもよいのかもしれない)。 繰り返ずが、研究者の使命は、権力の下請けやいちじくの葉になることでも、自分の意見を権力が取り上げないことに憤ることでもない。人々のほうを向くこと、人々の利益のために自分の能力を使うことだ。 こうした役割は、原発に関わる研究者だけに与えられているのではない。すべての研究者に共有されるものだ。原発危機が、こうした役割をくっきりと浮き上がらせているのだ、 研究者を志望する若者が、こうした役割を自覚する機会はあるのだろうか。 振り返って、わたしはなにをしてきたのだろうか。たまたまこの世界に紛れ込んだに過ぎないというのは言い訳に過ぎない。研究者として所得をえ、専門家として発言してきたのだから。

逃げるための三つの能力

危機はまだ終っていない。自力で立ち向かうことのできない危機の場合、最善の方法は逃げることだ。だが、逃げるのは実はとても難しい。多くの人がそれを実感しているだろう。 今後の人生を、少しでも逃げやすいように修正するために、若い人には、逃げられる能力をつけるために、これを書く。 モデルはアフリカで知り合ったパキスタンの友人だ。 1. 逃げるのに一番大事なのは、ネットワーク。地理的には、できるだけ広く、できるだけ多くの国に、階層的には、できるだけ多様な職業、趣味、階層の人の間に、知り合いを作ることだ。友人、知り合う人、みんなのアドレスを持つこと、連絡を保つこと、なによりも大事な人だと思ってもらうことだ。snsがあるので、ネットワークを広げることは格段と容易になっている。 ネットワークがあれば、情報が得られる、なにか頼めるかもしれない、場合によっては居候もできるかもしれない。 パキスタンの友人は、日本に留学していた。兄弟はみな違う国に留学し、それぞれの国でネットワークを作っていた。もちろん家族同士は強固なネットワークの中核だ。 2. どこにいってもやっていける汎用性ある能力を身につけること。もちろん特殊技術があれば一番いいが、そうでなくても心配は要らない。実は日本の殆どの人の能力は汎用性がある。日本の会社で事務をしていれば、世界どこでも事務はできる。問題は多くの人が「自分は会社をでたらなにもできない」と思っていることだ。自分の仕事の中に、汎用性のある技術を見つけ、それを磨いていくことが大事だ。 パキスタンの友人が頼っていたのも、特殊な技術ではなく、「どこでも生きて行く能力はある」という自信だった。これがあれば十分というわけでなないが、なければなにもできない。 3.自分(と家族)の利益を絶対に優先すること。付き合いや職場の雰囲気、国情などに飲まれない。職場や、地域、国は滅びても生き延びる覚悟が必要だ。 パキスタン人の友人は、住む国になんの愛情も示さなかったが、これはまずかった。「この国からは奪うだけ」という姿勢から、アフリカ人から嫌われ、略奪の対象とされ、結局は自分の利益も傷つけていた。これは反面教師。 4. この三つがあればよい。他に、あればいい、あればとっても役立つことはたくさんあるが、なくても何とかはなるとおもう。また、すべてあとか

ものを送るより、お金を送れ

国際的な緊急援助では、物資だけでなく現金を配る動きが広がっている。 受け手から見れば、現金は必要なときに必要なものがかえる。場合によっては貯めておいても良い。送る側からすると、調整コストが掛からない。必要なもの(と援助側が判断した物)を買い、運送し、配給するのは大変だ。たいていはミスマッチが起き、また配給の不平等、時には腐敗もおこる。 もちろん、現金をわたして意味があるのは市場が機能している時だけだ。店があいており、商品が棚に並んでいなければならない。またとりあえず貯めておくには銀行のATMも必要だ。今の被災地では、これらが壊滅しているために、役所やNGOが日本中から集まった物資を仕分けし、ストックし、配送し、また現地でストックして仕分け、配給するのに必死となっている。それでもミスマッチは避けられない。 こうしてみると、市場ってすごいと思う。 さらに、こうした配給制度は、被災者の個別のニーズに答えることはできない。家族構成、年齢、価値観、ライフスタイルによって必要なものはことなるが、給食は皆同じパンで、テレビで不足していると取り上げられたものがどっと届く。 ここでも、お金と市場というシステムはすごいと思う。「ミスマッチ」というが、そもそも市場とはマッチングのための巨大で謎の組織なのだ。 こうしてみると、現在の状況でも、物資を送るよりお金を送ったほうがよいことがわかる。被災地外の市場はまあまあ動いているのだから、行政やNGOは物資を購入すればよい。物資で寄付が殺到した場合に比べ、受け入れ、仕分け、ストック、運送までの手間とお金が浮く。これは大きいはずだ。 市場機能はまもなく復活する。そうなったら物資を送るのはむしろ有害だ。現地で購入されるべきものがよそで買われて送られてくるのでは、現地の経済は復興しない。被災者も寄付物資の配給は、生活再建に役立たない。おそらくもらった物資を売りに出すことになるだろう。 ものよりお金を送ることの重要性を述べてきたが、最後に誰に贈るかが問題になる。現在は行政やNGOに送ることが必要だ。被災者が貰っても使えないからだ。しかし、市場が復活してきたら、お金が被災者の手に渡ることが重要になる。被災者自身が、それぞれの生活再建プランに沿って お金を使う必要が出てくるし、また使える条件も整ってくるのだから。したがって

地震について2 逃げることへの社会的圧力

前の投稿から続く ところで、こうした情報分析の偏りに比べると、意思決定の偏りはとても小さいように見える。つまり「逃げる」派は圧倒的に少なく、大半の人は「逃げない派」だ。なぜだろうか。 一般的には、逃げるコストが高いこと(職を失う、他に拠点がないので滞在費が高い、外国では暮らせない、後ろめたいなどの心理的不安、逃げると白い目で見られるなどの社会的制裁、不安を煽ったと批判される等)が最大の原因と考えられる。 一般に受け入れられている言説「最善の被災者支援は、節電、しっかり働く、無駄遣いしない」(そもそもそれらに客観的根拠はあるのか?)や、「なくみんなで耐える」のが日本人の美徳だという説なども社会的圧力の一つであり、逃亡の心理的コスト(あるいは社会的制裁を受けるというコスト)を高めている。 災害のため、ACの道徳CMが増えていることもこうした圧力をより高めているようだ。 しかし、上記のコストの多くは文化的要因に左右される。外資系であれば逃げたという理由で解雇しないだろう(おそらく日本で解雇されても危険が大きければ裁判で勝てるだろう)、子供の発がんリスクと社会的迫害や外国の暮らしへの挑戦コストをどうバランスするかは、明らかに文化的な問題だ。アメリカ映画なら、自分の家族のためにどこまでも逃げていくだろう。 逃げいない多数派は、ではリスクをどう見積もっているのだろうか?これについては私にはよくわからない。推測するに、「みんなと同じ行動をとればリスクは低い」という想定に立っているのではないだろうか。 これは十分な情報が得られないときに、しばしば見られる行動で、それなりの合理性がある。みんながこの行動をとっているのだから、正当な理由があるだろう、またなにかあったら大多数の人々の利益は政府あるいは国際社会が守ってくれるだろうという想定だろう。歴史的には、これは正しい場合もあり、正しくない場合もある。 わたしは、自分と家族の安全を最優先に意思決定すべきだと思う。そのため社会的圧力を感じるし、それは、なんと自分の中にもある。だから余計怖いし、理不尽だと思う。でもそう考えること自体が、とても少数派なのだろうとも思う。 こんなことを書いているうちに、放射性物質の浮遊、飲料水の汚染のため、地域によっては逃げる必要性が高まってきた。「逃げる」コストを引き下げることが、わたしの

地震について、情報の読み方の歪み

アフリカで地震のニュースに接してから2週間、帰国してから1週間が経過した。内外の情報を見ながら、情報をどう読むか、分析をもとにどう意思決定するか、難しさを痛感している。 情報を読む際も、意思決定の際も、自分の特性(性格、世界観、職歴、年齢)などが強い影響を与えるのを感じる。わたしはもともと原発に反対であった。とても臆病だ。へそ曲がりでみなと同じ行動するのを嫌う。多くの国、組織を転々としてきたし、内外に拠点が複数あるので移動性が高い。 この結果、情報分析については、原発についての政府発表に懐疑的で、より深刻に考える傾向がある。意思決定に際しては、リスクが少しでも高まると、原発から遠くに逃げることを選ぶ。みなと一緒に行動する義務感も、それによる安心感も、あまりない。 わたしとは違うが(多くの場合正反対)、やはり強いバイアスを、メディアやネットの書き込み、一般の人の行動などをみていて、感じる。 まず、情報分析に際しては、一方に、「大丈夫」派=原発リスクを低くみる偏りがある人びとがおり、他方に「不安派」=原発リスクを高めに見積もる傾向があるひとたちがいる。ともに各種情報を系統的に歪めて解釈している。 えられる情報の曖昧さも、恣意的な情報分析を助長している。曖昧さの理由は、政府や東電もわからない(原子炉格納容器の中はどうなっているかなど)ことがおおいことと、故意に曖昧にしているのではないかと疑われること(被爆量がどの程度になったら逃げるべきかなど)の両方があるようだ。 情報分析の偏りは、それ自体害があるわけではなく、ある意味当然のことだ。通常は分析の偏りも正規分布を描くはずだ。両端が少なく、中間が厚い、いわば良識が多数派を形成することとなり、安定的な世論が作られる。 ところが、現実のリスク評価は、両極に分裂するM型、対立型になっているように見える。 原因を考えてみると、ひとつは、情報とりわけリスク情報が不十分で、しかも信頼にかけるため、自己防衛に関心が高い人(あるいはハイリスク地域に住む人)にとっては、リスクをやや多めに見積もるのが合理的行動となる。他方社会秩序維持により関心が高い人(あるいはローリスク地域に住む人)には、リスクを低めに評価する動機が強まる。 さらに、リスク評価が対立型であるだけでなく、双方の双方の極端派が、、他派を攻撃す

アフリカ鉱山:中国幻想の終わり?

中国はアフリカの鉱山を買いあさっているように思われているが、Jeune Afrique誌によれば、実際には予想以上に慎重に振舞っているらしい。 鉱山投資のほとんどは少数株主としての参加であり、自ら鉱山開発に乗り出したケースは限られている(経営に手を染めたザンビアなどでは、手ひどい失敗にあっている)。中国にとっても、アフリカは遠く、情報も不足しているからだろう。 http://www.jeuneafrique.com/Article/ARTJAJA2615p055-057.xml0/chine-investissement-mines-mineraismines-la-fin-du-reve-chinois.html

マイクロファイナンス:神話の終焉?

近年マイクロファイナンスへの風当たりが強い。「科学的」調査が進むにつれ、マイクロファイナンスの貧困削減への効果に疑問が広がっている。下のペーパーは否定的な立場からの研究サーベイ。 http://www.odi.org.uk/resources/download/5117.pdf 対案としてあげられているのは、現金移転、マイクロ貯蓄、コミュニティレベルの金融組織などだ。 「客観的調査」が見落としていることも多そうだが、マイクロファイナンスが善であるという「信仰」の時代は終わりつつあるようだ。そしてどんなによいビジネスも、信仰になるのは良いことではない。

テストの点数が上がれば成長率も高い?教育と成長の謎

教育が(とりわけアフリカで)経済成長につながなないのは長年謎とされてきた。教育は労働者の生産性を上げることにより、経済成長をもたらすはずなのに。特に日本人は、自分たちの「成功」が教育の普及のおかげだと信じている これについて、テストの点数と成長率に相関関係があるとする研究があるそうだ。イースタリーがブログで紹介している。就学率だけじゃなくて、テストで良い点をとれるようじゃないと、成長に寄与しませんよ、というわけだ。 http://aidwatchers.com/2011/03/solving-the-education-puzzle-test-scores-anなd-growth/ これに対する書き込みはすべて否定的。こんな単純化は許せん、教育だけで成長を説明できるはずがない、教育内容はどうなんだ........。 この議論は次のことを想起させる:アフリカで教育を考えるときに、就学率をあげることだけをみず、教育について考えることも必要だろう。 例えば、教育とはなんだろうか? マクロ的には、教育が労働者(土地と共同体から切り離された無産者)を作る道具だとすれば、アフリカの教育は労働者をつくることに成功していない。他方、農民の生産性を上げることにも失敗している。また、教育を得ても賃金が高すぎて雇用が作られない。 背景には土地が相対的に余剰であることがありそうだ。援助や鉱物資源によるオランダ病も影響しているかもしれない。

現金移転cash transferは貧困をなくせるか:ザンビアでの調査1

貧困者の三分の二は中所得国に住むという報告書について、前に紹介した。アフリカも成長著しく、ザンビアもこのままいけば遠からず中所得国に。しかしご多分にもれず貧困層はむしろ拡大している。 成長し、政府の懐も豊かになりつつあるのに貧困は増えている。新しい現実に対し、援助ができることはあるのか? これに答える試みとして近年注目を浴びているのが現金移転だ。貧困者に直接現金を配る。貧困者を支援する一番の近道だ。今回はザンビアでその試みを調査する。 貧困者は怠けるのではないか、無駄遣いするのではないかとの疑問は当然だが、実はこれらの疑問にはすでに答えが出ている。現金移転は、ラテンアメリカで制度化され、すでに数千万人を対象に実施済みで、膨大な調査からこうした疑問が杞憂であったことが明らかになっている。 さらに、貧困者の暮らし、健康、教育へのプラスの効果が確認されている。 アフリカでも現金移転は10年ほど前から各地でテストが行われており、ザンビアはそのフロントランナーだ。 わたしは三年前にザンビアの現金移転について紹介したが、その後資料が途絶えていた。今回の調査はこのパイロットプロジェクトがどう発展(あるいは消滅)したかを知ることが目的だ。

専門家を信じるな

チュニジアから始まった革命がアラブ諸国に波及する過程は、専門家の見立ての誤りが暴露されていく過程でもあった。(以下、専門家というときはTVや新聞のコメント欄に現れる多数派の専門家を指す)。 そもそもチュニジア人の多数派は経済成長に満足し、失業者たちも強力な秘密警察のもとで声をあげることは不可能だと言われていた。ベン・アリが権力の座から逃亡する前日夜まで、政権の崩壊を予言した専門家はいなかった。 チュニジア革命のあと、専門家は「エジプトはチュニジアとは違う」とエジプト革命の可能性を否定した。 エジプト革命が現実化した後は、「湾岸諸国は王国だから、首相をすげ替えれば住む」と述べていたが、翌日にはバーレーンのデモが深刻化した。またシリアやリビアの特殊性を述べて、革命の可能性を遠ざけたが、これも翌日には覆された。 かれらは革命防衛隊の存在をあげて、イランには波及しないと述べていたが、どうなるだろうか。 こうした専門家の見立て違いの理由を考えてみよう。第一に、専門家が知識を持っているのは、公式の制度・組織であり、その効率性だ。民衆のエネルギーやダイナミックに立ち上がってくるネットワークは研究対象にならない。前者はデータがあるが、後者はないからだ。 第二に、あらゆる専門家は自分の専門が重要だと考える傾向がある。それが「飯の種」だから当然だ。したがって公式の制度・組織・政治のほうが、自分が分析対象としていない民衆よりも、強力だと考えがちだ。 第三に、あらゆる研究は過去の説明であり、現実と未来の分析には、無力とは言わないが、研究者が(そして第三者も)信じ込んでいるほどには有効ではない。 そもそも、激動期には全ての予測が不可能だ。大きな変化は過去の経路に依存せず、線形の発展はない。眠っていた未知の、しかも最大の社会的力が立ち上がるときだ。そのパワーがいかほどか、どちらに向かうかは誰にもわからない。 既存の組織は溶解し、ミクロの諸個人の、決定の複雑な総合から現れる。それは予測不可能だという点で市場に似ているが、個人は単に商品を選ぶのではなく、生存をかけた自己投機を迫られる。こうしたダイナミズムを分析し予測する方法はない。 専門家は知識を提供することができる。しかしかれら(あるいはわれわれ)に予測を期待するのはやめよう。

軍隊はHIV/AIDSを拡大する装置か?

AIDS, SECURITY AND THE MILITARY IN AFRICA: A SOBER APPRAISAL (ALAN WHITESIDE, ALEX DE WAAL AND TSADKAN GEBRE-TENSAE 2006) http://afraf.oxfordjournals.org/ エイズと軍隊に関する通説に反論したペーパーだ。通説では HIV/AIDS は安全保障の脅威と考えられている。軍隊は感染率が高く、軍は感染拡大により脆弱になる。そして紛争は感染を拡大させ、さまざまな理由から平和を損なうともみなされている。これに対し、著者は次のように主張する。 1.      兵隊の HIV/AIDS 感染率は一般に比べて 常に高いわけではない 2.      軍隊は 一般的に は内部での感染拡大への抑制力がある 3.      戦争が感染を拡大するとは 必ずしも 言えない。ただし戦争に伴う人口移動と静的ネットワークの変化から生じるリスクに注意を向ける必要がある 4.      エイズが国内・地域・国際安全保障を脅かすとの説は、 確かとは言えない 研究手法は体系的な統計分析ではない。十分なデータが得にくいため、分散的な資料(とはいえ、通説が確立された 90 年代よりはずっと充実しているが)からの推定で、通説が信頼に足りるものかを検証するという方法をとっている。 このため、通説に替わる新たな知見を打ち立てたとは必ずしも言えず、通説は 当てはまる場合もある が、 一般化するには相当に疑わしい ことを明らかにしたことに意義がある研究と言えるだろう。 私見だが、限られたデータからの推論が「通説」となったのは当然と感じる。 HIV/AIDS 、軍隊、紛争は全て人々への脅威だ。これら三つが結びつけば、より深刻な脅威となるという説は、私たちの心情に強く訴えるように思う。

幸せは金次第か? 幸福の経済学をめぐる論争とデータ

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発展途上国の村で過ごすと、だれしも「幸せってなんだろう?わたしたちのほうが、ある意味貧困なのでは?」と自問する。 それと関係あるかどうか知らないけど、昨今GDPに替えて「幸せ」について聞く機会が多い。UNDPの人間開発指数はすでに定着しているけど、もっと主観的な幸せを測ろうとする試みが増えている。それだけでなく、先進国の首脳の大半が「幸せ」を政策目標にと語り始めた。ブータンの国民幸福総量重視の政策は注目の的だ。 豊かさと幸福とは関係ないという統計的な分析を示したのは、イースタリンだが、当然これまでいろんな反証の試みがあったようだ。 http://www.worldlingo.com/ma/enwiki/en/Easterlin_paradox 最近も若い研究者(上のURLでも言及されているStevenson and Wolfers)が新しいデータセットを用いで分析し、豊かな国ほど幸せだという結論をだしている。クロスカントリー及び時系列分析ともに「お金があるほど幸せ」だと示している。 http://blogs.cgdev.org/global_prosperity_wonkcast/2011/01/18/the-data-is-in-more-money-more-happiness-justin-wolfers/ 二人はニュースにもでたようで、動画もある。 ペーパーもここからダウンロードできる。データの質と分析をしっかり吟味しないといけないのだろうが、わたしは統計に弱いのでよくわからない。統計はデータの取り方、分析手法で、時には「同二でもなる」ところがあるので、どんなにしっかりした結論のようでも、鵜呑みにはできない。 だれかStevenson and Wolferのペーパーにコメントしてくれる人はいないでしょうか?

新「最底辺の10億人」 貧困者の四分の三が中所得国にいる?! だったら貧困研究はどうなる?援助はどうする?

Andy Summer, 2010, “Global Poverty and The New Bottom Billion: What if three –Quarters of The World’s Poor Live in Middle-Income Countries?”, Institute of Development Studies http://www.ids.ac.uk/download.cfm?objectid=F1D7952B-DE56-E3B4-B7282EC89A733915 貧困者の大半はもはや貧困国の住民ではない。四分の三は中所得国に住んでおり、四分の一だけが貧困国(主にサハラ以南アフリカ)国民だ。これが著者の主張だ。 最新のデータを分析したところ、もはや貧困問題は貧困国の問題ではないという。コーリアが「最底辺の 10 億人」で描いたような、脆弱で紛争にさらされた小国ではなく、中所得の安定した大国に、貧困者の多くは暮らしている。 世界の貧困と闘うには、貧困についての研究、政策、援助は全て見直す必要に迫られる。 まず平均所得をもとにした国の分類は見直されるべきだろう。貧困者の中所得国へのシフトは、四つの大国(インド、パキスタン、インドネシア、ナイジェリア)が中所得国に昇格した(にもかかわらず貧困者が増えている)ことに大きく影響されている。低所得国、中所得国という分類は不適切なのかもしれない。 また国際的不平等から国内格差により注目しなければならないし、それにしたがって、国際的再配分や国際秩序の見直しよりも国内的再配分や国内の政治社会改革が重視されることになるだろう。 これに伴い、援助の役割も変わらざるをえない。中所得国の貧困削減に援助は意味があるか明らかではないからだ。 以上が著者の主張だが、アフリカ研究の観点からは、次の疑問が追加される。まずアフリカは、貧困を抱えたままの新中所得国の後を追っているのか、それともアフリカは古典的貧困問題(国が貧しいから人も貧しい)にとどまっているのか? また成長しつつ貧困を拡大している中所得国の増加は、成長の均霑による貧困削減モデルに疑問を投げかけている。アフリカでも、経済は高成長を維持しているが、貧困者が増加し続けている。これを、成長の初期に不可避のクズネックカーブだと断定するのはむずか

だれのいうことも鵜呑みにしてはいけない

先日学生のワールドカフェを傍聴して、参加者の自由な精神を感じられ、久しぶりに良い刺激になった。そこでの反省: 最後に討論の場が設けられ、国際協力についてディスカッションがあった。参加者からはもっともな質問が次々と上がる。日本の援助は役に立っているのか、問題はどこに、解決策はなにか。 わたしも国際協力の研究者なので、自分の見解を述べた。ところが・・・はっと気がつくと、みなへんに静かになり、「納得」しているような(勘違いかもしれないが)気配を感じた。 これはまずいと感じて、ややしどろもどろになってしまった。ワタシの言ったことに確信がなかったわけではない。確信があるからこそ、みんなに理解してもらえるよう一生懸命はなしたのだから。 でもあれはあくまでも「わたしの見解」だ。いかにわたしが信じているにしろ。 どんなにデータを揃えて、精密な手続きをふんで、慎重に分析しても、社会科学でひとつの主張が定説となるまでは、幾年にも渡るさまざまな論争と検証を経なければならない。 加えて、国際協力は価値を排除できない世界なので、学問的合意が成立しないテーマも数多くある。どんなに説得的な議論も、文献も、ひとつの主張として頭の引き出しにしまうだけにしておこう。 研究者以外の人の議論は、その人の価値観や職業的立場によってさらに大きく影響される。長年実績を挙げているNGOのリーダー、何十カ国も訪れた専門家、さらに発展途上国の人々さえも・・・。 かれらのいうことは意味ある何かを伝えるが、かならず彼らの価値観、職業的利害、社会集団固有の習慣などに影響される。また彼らと聞き手の関係にも大きく左右される。NGOリーダーはわたしを折伏しようとするだろうし、貧困者にはわたしは大きな財布を持った白人に映っている。 若者はまずもっとも重要な疑問に突き当たる。こうした疑問は鋭く、本質的で、核心的だが、同時に構造化され、価値に依存し、何万人もの研究者や実務家が取り組んでも答えがえられないものばかりだ。 だから簡単な答えには注意しよう。それは嘘ではないが、正しいものではない。 なによりも、簡単に世界を整理しようとする欲望を抑えよう。仮説を立て、それに基づき実践し、得られた知識で仮説を常に検証しよう。たいていは最初の仮説が急ごしらえでお粗末だったことがわかる。それによって意味のあ

「投票より参加の場を」 世論調査に見る政治参加の姿勢

総理府が毎年実施している世論調査(社会意識調査)に「国の政策への民意の反映方法」というのがある。2011年のデータを見ると、「自覚して投票する」を「参加できる場を広げる」が上回っているのが目に付く。 国民の意識は、すでに形式民主主義から参加型民主主義に変わっていると言える。 「参加できる場を広げる」は、「政治家が国民の声をきく」「政策に関心を持つ」についで三位となっている。 他の項目の割合が長年あまり変わっていないのと比べ、「投票」と「参加」のシェアは、20数年にわたってゆっくりと、一方は低下し、他方は上昇してきた。 両者の順位が逆転したのは2008年。いつの間にか日本人の民主主義観は、投票から参加へと変化してきたことになる。 http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-shakai/images/z28.gif ついでながら、高齢者ほど参加への意欲は低い。参加意欲のピークは30代で、その後世代が上がるに連れ低下する。民意の反映方法として参加を挙げる割合は、70歳以上では30代の三分の一以下の7.8%まで縮んでしまう。反対に高齢世代ほど投票を重視する姿勢が顕著だ。 http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-shakai/images/z27.gif